クラウン通がかよう 「ひゃくばん倶楽部」 第十四話 : 正真正銘 “初代も初代”
“ひゃくばん倶楽部”へようこそ。私の名前は“ひゃくばん”。
この“ひゃくばん倶楽部”の案内人。一般的には、初代クラウンと呼ばれている。
2014年(平成26年)11月29日(土)、神宮外苑でトヨタ博物館主催の“クラシックカー・フェスティバル”が開催され、会場には日米欧のクラシックカー約100台が一堂に会していた。
「どうぞどうぞ、乗ってみてください…」小雨降る神宮外苑の人だかりの中心に、誇らしげな私(初代クラウン)と、満面に笑みを浮かべたご主人の姿があった。
“私をここに出展させたい…”。念願だったご主人の“夢”が、やっとこの日に叶ったのだ。
この“ひゃくばん倶楽部”の案内人。一般的には、初代クラウンと呼ばれている。
2014年(平成26年)11月29日(土)、神宮外苑でトヨタ博物館主催の“クラシックカー・フェスティバル”が開催され、会場には日米欧のクラシックカー約100台が一堂に会していた。
「どうぞどうぞ、乗ってみてください…」小雨降る神宮外苑の人だかりの中心に、誇らしげな私(初代クラウン)と、満面に笑みを浮かべたご主人の姿があった。
“私をここに出展させたい…”。念願だったご主人の“夢”が、やっとこの日に叶ったのだ。
主催者であるトヨタ博物館の館長が、私のエンジンルームをのぞき込んで
「インナーフェンダーにスリットがありますね。これは初代クラウンの初期ロットにのみあるスリットです。このクルマは正真正銘、初代も初代のクラウンです。現役で走っているなんて奇跡です。」
と、太鼓判を押してくれた。
エンジンの冷却性能をあげる為のスリットだったが、水溜りを走行する際などにエンジンルームの電装部品に水がかかってしまう恐れがある為、1955年12月以降に生産された車両からは、このスリットが消えた。
つまり、初代クラウンの全生産台数116,400台に対し、スリットがあるのは1955年に販売された初期ロットの2,452台、実に2.1%のみ。
そんな私が、博物館に展示されることなく、現役で公道を走っているのだから奇跡である。
どうだろう、私(初代クラウン)に実際に逢ってみたくなっただろうか。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
「インナーフェンダーにスリットがありますね。これは初代クラウンの初期ロットにのみあるスリットです。このクルマは正真正銘、初代も初代のクラウンです。現役で走っているなんて奇跡です。」
と、太鼓判を押してくれた。
エンジンの冷却性能をあげる為のスリットだったが、水溜りを走行する際などにエンジンルームの電装部品に水がかかってしまう恐れがある為、1955年12月以降に生産された車両からは、このスリットが消えた。
つまり、初代クラウンの全生産台数116,400台に対し、スリットがあるのは1955年に販売された初期ロットの2,452台、実に2.1%のみ。
そんな私が、博物館に展示されることなく、現役で公道を走っているのだから奇跡である。
どうだろう、私(初代クラウン)に実際に逢ってみたくなっただろうか。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。
【ひゃくばん物語】
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む