
History of CROWN
ひゃくばん倶楽部
第一話「一台の"クラウン"から始まる物語」
「ひゃくばん倶楽部」へようこそ。私の名前は「ひゃくばん」。この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。さて、「我こそはクラウン通」と自負するみなさん、どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのかご存知だろうか。どうして私が今でも元気に公道を走り続けられるのか…続きを読む
第二話「純国産乗用車の登場」
私の名前は「ひゃくばん」、この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。さて、今日は私の生まれた時代の…続きを読む
第三話「神奈川クラウン会」
みなさんは「神奈川クラウン会」というのをご存知だろうか?話は初代クラウンが発売されて3年目の1958(昭和33)年にまで遡る。クラウンを愛用するオーナーさんたちは皆、根っからのクルマ好きだったが当時はまだ道路事情が悪かったため、遠出するには不安があった。…続きを読む
第四話「 三浦半島“クラウン”ラリー」
さて、今日はクラウンラリーについて話をしよう。1958(昭和33)年、神奈川トヨタ主催で“三浦半島一周ラリー”がスタートした。腕自慢の“神奈川クラウン会”のメンバーに加え、当時の人気女性歌手や豪州一周ラリーのドライバーもゲスト出場し、話題を呼んだ…続きを読む
第五話「 “クラウン”の意味 」
みなさんは「クラウン」はどうして「クラウン」という名前なのかご存知だろうか。「クラウン」とは英語で「王冠」の意味。つまり「国産車を常にリードし続ける王座のしるし」という意味が込められているのだ。だが、…続きを読む
第六話「刑事ドラマとクラウン 」
「クラウン」と言えば今も昔も刑事ドラマに欠かせない車となっている。1972年から1986年に、日本テレビ系で放映された刑事ドラマの捜査車両としてクラウンが使用されたのは有名な話だ。ブラインド越しに、眩しそうな目をして物思いにふける姿……続きを読む
第七話「ジューンブライド と クラウン 」
今日は、私が忘れられない“クラウンと新婚さん”との物語があるのでそれをお話しよう。古くからヨーロッパでは「6月に結婚する花嫁は幸せになれる」と言い伝えられているそうだが、……続きを読む
第八話「お客様ファースト 」
今日は私の古いアルバムから、素敵な写真が見つかったのでその話をしようと思う。まずはこちらの写真を見て欲しい。これは、以前話した「神奈川クラウン会」が主催した「三浦半島一周ラリー」の一場面だ。「神奈川クラウン会」は、……続きを読む
第九話「快適と安全Ⅰ 」
今日は私(初代クラウン)が発売された時のカタログをご覧いただこう。当時の安全への配慮は、“見やすい”と“使いやすい”だった。フロント・ウインドは2枚の曲面ガラスを使用し、窓面積が広く、窓枠・中柱は細く、前面はボンネットが低いため、……続きを読む
第十話「快適と安全Ⅱ 」
私達(初代クラウン)が競った三浦半島一周ラリーから約60年。トヨタの“TS050HYBRID”が、世界3大レースのひとつ「ル・マン」を制した。このモンスターマシンを1.2フィニッシュさせた、ドライバーは、この“TS050HYBRID”を、……続きを読む
ひゃくばん物語

それは一台の“クラウン”から始まる物語。
神奈川トヨタでは、ひとりのオーナー様が60年間大切にしてきた初代クラウンを、「転売しないこと」「今後も一人でも多くの人に見てもらうべく努めること」の2つを条件に、その一台とその心を引き継ぎました。私たちはこの約束を守り、県内各所で巡回展示などを実施しております。
“初代クラウン”が63年の時を越えて、今も元気に走り続けている...。そこには数々の“人とクルマの物語”がありました。
“初代クラウン”が63年の時を越えて、今も元気に走り続けている...。そこには数々の“人とクルマの物語”がありました。