クラウン通がかよう 「ひゃくばん倶楽部」 第二話 : 純国産乗用車の登場
「ひゃくばん倶楽部」へようこそ。
私の名前は「ひゃくばん」、この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。
1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
さて、今日は私の生まれた時代の話をしよう。
1955(昭和30)年といえば、神武以来の好景気に乗って電気洗濯機・白黒テレビ・電気掃除機などの家庭電化製品が“三種の神器”としてもてはやされ、各家庭に普及し始めた年だ。
石原慎太郎さんが、小説『太陽の季節』を発表し“太陽族”などの流行語が生まれたのもこの年。
そして、この年の1月に発売となったのが、前輪にダブルウィッシュボーン型の独立懸架を採用するなど、最新技術が随所に盛り込まれた名車、私(初代クラウン)だ。
私が発売された時、神奈川トヨタのショールームでは、盛大に発表会が行われた。
会場には、話題の名車をひと目見ようと多くのお客様が押し寄せ、「日本人もこれほど素晴らしい車をつくれるようになったのか」と感嘆する声が寄せられた。
この時の私の価格は、101万4,860円。当時、庶民にとってとびっきりの贅沢品であった電気洗濯機が2万8千円。
国民1人平均の貯金残高が5万6千円だったから、私(クラウン)がいかに高価な商品であったかがわかるだろう。
これは「クラウン通」としては少し自慢できる話ではないだろうか。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
私の名前は「ひゃくばん」、この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。
1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
さて、今日は私の生まれた時代の話をしよう。
1955(昭和30)年といえば、神武以来の好景気に乗って電気洗濯機・白黒テレビ・電気掃除機などの家庭電化製品が“三種の神器”としてもてはやされ、各家庭に普及し始めた年だ。
石原慎太郎さんが、小説『太陽の季節』を発表し“太陽族”などの流行語が生まれたのもこの年。
そして、この年の1月に発売となったのが、前輪にダブルウィッシュボーン型の独立懸架を採用するなど、最新技術が随所に盛り込まれた名車、私(初代クラウン)だ。
私が発売された時、神奈川トヨタのショールームでは、盛大に発表会が行われた。
会場には、話題の名車をひと目見ようと多くのお客様が押し寄せ、「日本人もこれほど素晴らしい車をつくれるようになったのか」と感嘆する声が寄せられた。
この時の私の価格は、101万4,860円。当時、庶民にとってとびっきりの贅沢品であった電気洗濯機が2万8千円。
国民1人平均の貯金残高が5万6千円だったから、私(クラウン)がいかに高価な商品であったかがわかるだろう。
これは「クラウン通」としては少し自慢できる話ではないだろうか。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。
【ひゃくばん物語】
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む