クラウン通がかよう 「ひゃくばん倶楽部」 第三話 : 神奈川クラウン会
「ひゃくばん倶楽部」へようこそ。
私の名前は「ひゃくばん」、この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。
1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
さて、みなさんは「神奈川クラウン会」というのをご存知だろうか?
話は初代クラウンが発売されて3年目の1958(昭和33)年にまで遡る。
クラウンを愛用するオーナーさんたちは皆、根っからのクルマ好きだったが当時はまだ道路事情が悪かったため、遠出するには不安があった。
そこで神奈川トヨタは、ドライブの快適さ、楽しさを味わってもらおうと、この年の8月「神奈川クラウン会」を発足。
クラウンのオーナーさん約30台にサービスカーが追従し、山中湖までのドライブを楽しんだのだ。
以降2ヶ月に1回、1泊2日の「神奈川クラウン会」が実施され、当初は50人程度だった会員も、その後200人を超えた。
残念ながら「神奈川クラウン会」は活動終了となってしまったが、現在もこのスピリットは「プリウス森木会(しんぼくかい)」に受け継がれている。
プリウスのオーナーさんが水源地域の森林を健康で活力ある状態に保ち、次世代に引き継いでいくために、「プリウス森木会の森」に集い、自然観察会や植樹・間伐などの森にふれるイベントを年2回行っているのだ。
今も昔も、クルマを通じてオーナーさんがひとつになる…素晴らしいことではないだろうか。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
私の名前は「ひゃくばん」、この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。
1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
さて、みなさんは「神奈川クラウン会」というのをご存知だろうか?
話は初代クラウンが発売されて3年目の1958(昭和33)年にまで遡る。
クラウンを愛用するオーナーさんたちは皆、根っからのクルマ好きだったが当時はまだ道路事情が悪かったため、遠出するには不安があった。
そこで神奈川トヨタは、ドライブの快適さ、楽しさを味わってもらおうと、この年の8月「神奈川クラウン会」を発足。
クラウンのオーナーさん約30台にサービスカーが追従し、山中湖までのドライブを楽しんだのだ。
以降2ヶ月に1回、1泊2日の「神奈川クラウン会」が実施され、当初は50人程度だった会員も、その後200人を超えた。
残念ながら「神奈川クラウン会」は活動終了となってしまったが、現在もこのスピリットは「プリウス森木会(しんぼくかい)」に受け継がれている。
プリウスのオーナーさんが水源地域の森林を健康で活力ある状態に保ち、次世代に引き継いでいくために、「プリウス森木会の森」に集い、自然観察会や植樹・間伐などの森にふれるイベントを年2回行っているのだ。
今も昔も、クルマを通じてオーナーさんがひとつになる…素晴らしいことではないだろうか。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。
【ひゃくばん物語】
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む