クラウン通がかよう 「ひゃくばん倶楽部」 第十五話 : 中柱
「ひゃくばん倶楽部」へようこそ。私の名前は「ひゃくばん」。
この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。一般的には、初代クラウンと呼ばれている。
この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。一般的には、初代クラウンと呼ばれている。

神奈川トヨタのショールームで巡回展示をしている時のことである。
私(初代クラウン)の正面に立って、じっくりと眺めていたご年配のお客様が腕組みをして首をかしげた。
「これはホントの初代クラウンじゃないな?」
私(初代クラウン)の正面に立って、じっくりと眺めていたご年配のお客様が腕組みをして首をかしげた。
「これはホントの初代クラウンじゃないな?」
トヨタ博物館の初代クラウンはフロントウィンドウが2枚のガラスで中柱があるのに、神奈川トヨタの初代クラウンは1枚のガラスで中柱がない。
これは初代とはいえない、とおっしゃったのだ。
それを聞いたスタッフは「これのことですね。」と、トランクからフロントウインドウの中柱(センターピラー)を取り出してみせた。
これは初代とはいえない、とおっしゃったのだ。
それを聞いたスタッフは「これのことですね。」と、トランクからフロントウインドウの中柱(センターピラー)を取り出してみせた。

「そうこれ!これがなきゃ初代クラウンじゃない。」
お客様のご指摘の通り、初代クラウンが発売された1955年の1月には、曲面ガラスの形成技術が完成していなかったので、中柱の入った2枚ガラスが採用されていた。
同じ年の12月にクラウンデラックスが発売になるとフロント・ウインドウが1枚ガラスになり、これを見た私のご主人は、視界が良くなるからとガラスを交換していたのだ。
その時、捨てられずに残しておいたのがこの中柱だった。
スタッフの説明にお客様もご納得され、そのうえで現在も走り続けている私を褒め称えてくれた。
少し、誇らしげな気分になった私がいたのは言うまでもない。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
お客様のご指摘の通り、初代クラウンが発売された1955年の1月には、曲面ガラスの形成技術が完成していなかったので、中柱の入った2枚ガラスが採用されていた。
同じ年の12月にクラウンデラックスが発売になるとフロント・ウインドウが1枚ガラスになり、これを見た私のご主人は、視界が良くなるからとガラスを交換していたのだ。
その時、捨てられずに残しておいたのがこの中柱だった。
スタッフの説明にお客様もご納得され、そのうえで現在も走り続けている私を褒め称えてくれた。
少し、誇らしげな気分になった私がいたのは言うまでもない。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。
【ひゃくばん物語】
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む