ひゃくばん倶楽部 第二十二話 沿線めぐり「みなとみらい線②」
『ひゃくばん倶楽部』へようこそ。
私の名前は『ひゃくばん』、この『ひゃくばん倶楽部』の案内人。一般的には、初代クラウンと呼ばれている。
前回に引き続き、みなとみらい線の沿線めぐりを続けよう。
今日はみなとみらい大橋を渡ってみなとみらい大通りを南に進んでみよう。
そうすると右手に桜木町駅が見えてくる。
ここはみなとみらい21をJRで訪れた場合の玄関口となる駅だ。
この駅前広場では2019年3月に15代目クラウンの展示会が行われた。
私の名前は『ひゃくばん』、この『ひゃくばん倶楽部』の案内人。一般的には、初代クラウンと呼ばれている。
前回に引き続き、みなとみらい線の沿線めぐりを続けよう。
今日はみなとみらい大橋を渡ってみなとみらい大通りを南に進んでみよう。
そうすると右手に桜木町駅が見えてくる。
ここはみなとみらい21をJRで訪れた場合の玄関口となる駅だ。
この駅前広場では2019年3月に15代目クラウンの展示会が行われた。

ところで皆さんは今の桜木町駅が初代の『横浜駅』だということはご存じだろうか。
1915年に東海道本線の延伸に伴い、桜木町駅と改称されたのだ。
つまり、桜木町駅は『初代横浜駅』というわけだ。
初代つながりで、私にも展示会の声が掛かるかと思っていたが、今回は残念ながら私は呼ばれなかった…。
そんな話はさておき、この桜木町駅前にあるコレットマーレという商業ビルには創業104年の老舗である株式会社水信が経営する水信フルーツパーラーラボという店がある。
実は1992年2月に水信と神奈川トヨタは『寒中ハワイアン』というコラボイベントを開催したことがあるのだ。
1915年に東海道本線の延伸に伴い、桜木町駅と改称されたのだ。
つまり、桜木町駅は『初代横浜駅』というわけだ。
初代つながりで、私にも展示会の声が掛かるかと思っていたが、今回は残念ながら私は呼ばれなかった…。
そんな話はさておき、この桜木町駅前にあるコレットマーレという商業ビルには創業104年の老舗である株式会社水信が経営する水信フルーツパーラーラボという店がある。
実は1992年2月に水信と神奈川トヨタは『寒中ハワイアン』というコラボイベントを開催したことがあるのだ。

真冬に行われたハワイアンイベントは多くのマスコミに取り上げられ、このイベントをきっかけとして、カレリア本牧(現在はトヨタモビリティ神奈川 中店と統合)に多くの愛好家が訪れるようになり、店舗でフラダンス教室を開設することに繋がった。
では、駅前広場から動く歩道を進んでみよう。
するとランドマークタワーの脇にドックヤードガーデンという広場がある。
よくイベントなどが行われるが、ここは単なるイベント会場ではなく旧横浜船渠(せんきょ)第2号ドックという国の重要文化財なのだ。
ちなみに、第1号ドックは日本丸が係留されている場所で、こちらも重要文化財に指定されている。
では、駅前広場から動く歩道を進んでみよう。
するとランドマークタワーの脇にドックヤードガーデンという広場がある。
よくイベントなどが行われるが、ここは単なるイベント会場ではなく旧横浜船渠(せんきょ)第2号ドックという国の重要文化財なのだ。
ちなみに、第1号ドックは日本丸が係留されている場所で、こちらも重要文化財に指定されている。

なお、このドックヤードガーデンの地下1階にはBUKATSUDOというキッチンやスタジオを備えたシェアスペースがあり、大人の日常を豊かにする活動として様々な「部活」の拠点として使われている。
その中に「みなとみらいごはん部」という年代も性別も超えて様々な人が交流できる“食”のコミュニティがある。
2018年4月に好きなクルマに乗って有機栽培畑に行き、畑で汗を流した後はみんなでゴハンを食べ、返却まではドライブを楽しむという「みなとみらいごはん部」と神奈川トヨタのコラボイベントを行った。
その中に「みなとみらいごはん部」という年代も性別も超えて様々な人が交流できる“食”のコミュニティがある。
2018年4月に好きなクルマに乗って有機栽培畑に行き、畑で汗を流した後はみんなでゴハンを食べ、返却まではドライブを楽しむという「みなとみらいごはん部」と神奈川トヨタのコラボイベントを行った。

このイベントはちょうど春休み期間だったこともあり、子どもたちがたくさん参加して普段はしないであろう土いじりなどを楽しんだと聞いている。
…このように神奈川トヨタ(トヨタモビリティ神奈川)は桜木町とは色々な縁がある。
まもなく平成という時代が幕をおろすが、次の時代も深い縁で繋がれていくことだろう。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
…このように神奈川トヨタ(トヨタモビリティ神奈川)は桜木町とは色々な縁がある。
まもなく平成という時代が幕をおろすが、次の時代も深い縁で繋がれていくことだろう。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。
【ひゃくばん物語】
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む