ひゃくばん倶楽部 第24話 沿線めぐり「みなとみらい線④」
2019.05.07
『ひゃくばん倶楽部』へようこそ。
私の名前は『ひゃくばん』、この『ひゃくばん倶楽部』の案内人。一般的には、初代クラウンと呼ばれている。
さて、みなとみらい線の沿線めぐりの最後は終着駅の元町・中華街駅に向かってみよう。
元町は開港当時に外国人御用達の店が集まって発達した商店街だ。
70年代から80年代には、ある女性誌により「横浜トラディショナル」略して「ハマトラ」というファッションスタイルが流行した。
これは元町が発祥である「キタムラの鞄」「フクゾーの服」「ミハマの靴」が3種の神器と言われていた。
そんな元町で2019年2月、『クラウンDay at Motomachi』というイベントが行われ、私を筆頭に、時代を彩った歴代のクラウンが15台集結した。

歴史のある街並みに集い、この街の景観に溶け込みながら2日間のイベントを楽しんだ。
また、元町は景観の維持や訪れる人々が安心して過ごせる空間づくりに力を入れている。
神奈川トヨタもMOTOMACHI Official Partnerとして元町商店街と協力してきた。
こうした活動の中でキタムラ×神奈川トヨタがコラボした濱プリというプリウスが誕生したのだ。



港町ヨコハマをイメージした内外装とキタムラが特別に20セットだけ作ったアイテムのセットは
非常に好評で、またたく間に完売してしまった。
…このように神奈川トヨタは横浜の地域と様々な縁がある。
この元町のように歴史を刻みながら、私も100年走り続けたいと切に願っている。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。

【ひゃくばん物語】私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの64歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
私の名前は『ひゃくばん』、この『ひゃくばん倶楽部』の案内人。一般的には、初代クラウンと呼ばれている。
さて、みなとみらい線の沿線めぐりの最後は終着駅の元町・中華街駅に向かってみよう。
元町は開港当時に外国人御用達の店が集まって発達した商店街だ。
70年代から80年代には、ある女性誌により「横浜トラディショナル」略して「ハマトラ」というファッションスタイルが流行した。
これは元町が発祥である「キタムラの鞄」「フクゾーの服」「ミハマの靴」が3種の神器と言われていた。
そんな元町で2019年2月、『クラウンDay at Motomachi』というイベントが行われ、私を筆頭に、時代を彩った歴代のクラウンが15台集結した。



歴史のある街並みに集い、この街の景観に溶け込みながら2日間のイベントを楽しんだ。
また、元町は景観の維持や訪れる人々が安心して過ごせる空間づくりに力を入れている。
神奈川トヨタもMOTOMACHI Official Partnerとして元町商店街と協力してきた。
こうした活動の中でキタムラ×神奈川トヨタがコラボした濱プリというプリウスが誕生したのだ。



港町ヨコハマをイメージした内外装とキタムラが特別に20セットだけ作ったアイテムのセットは
非常に好評で、またたく間に完売してしまった。
…このように神奈川トヨタは横浜の地域と様々な縁がある。
この元町のように歴史を刻みながら、私も100年走り続けたいと切に願っている。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。

【ひゃくばん物語】