クラウン通がかよう 「ひゃくばん倶楽部」 第十二話 : 安全・安心の歴史
2018.07.18
「ひゃくばん倶楽部」へようこそ。私の名前は「ひゃくばん」。
この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。一般的には、初代クラウンと呼ばれている。
1962年に発売された2代目クラウンは、私(初代クラウン)より全長が200mmも長くなり、当時、世界的な流行となったフラットデッキスタイルが採用され、ずいぶんモダンなスタイルになった。
この時にはスタイルだけではなく、国産初の安全合わせガラスや室内全体に配置されたセーフティ・パッドによって安全性も確保された。
まさに、ハイウェイ時代にふさわしい、安全なクルマの誕生だった。
6月26日に発売された15代目新型クラウンにも、人とクルマがふれあう全てのステージにおいて、安全をサポートする最先端技術が導入されている。
第9話では、駐車場におけるサポートブレーキ“インテリジェントクリアランスソナー”などについて話したが、今日は走行中のサポートブレーキについて話をしよう。
今までに車の運転をしていて人や自転車が飛び出してきて“ヒヤリ”とした経験はないだろうか?
そんな“ヒヤリ”をサポートしてくれるのが、この15代目新型クラウンの全グレードに標準装備された“プリクラッシュセーフティ”だ。
夜間の歩行者も検知してくれるプリクラッシュセーフティには、走行中の前方を見守る“2つのセンサー”が搭載されており、衝突の危険を検知すると、先ずは“ブザーとディスプレイ表示”でドライバーに注意を喚起してくれる。
ブレーキを踏めた場合にはプリクラッシュブレーキアシストが作動。踏めなかった場合にはプリクラッシュブレーキが作動して衝突を回避またはダメージの軽減をはかってくれる。
2つのセンサーとは、クルマの先端にあるクラウンのエンブレム周辺に搭載された“ミリ波レーダー”と、フロントウインドウの内側に搭載された“単眼カメラ”である。
ミリ波レーダーは、遠方まで精度よく距離を検出でき、夜間や雨天などの影響も受けにくい。一方、形状認識は不得意である。
単眼カメラは、形状認識が得意で、先行車や歩行者を認識できるが、天候や夜間、逆光の影響を受けやすい。
2つのセンサーは、互いの長所を活かし短所を補いあう、まるで人間のようなシステムなのだ。
ただ、システムが優秀だからといって頼りすぎたり過信しすぎたりするのは良くない。
運転者には安全運転の義務があり、自らの操作で安全を確保することは忘れないでもらいたい。
人間とシステムが協力して事故を減らす…あの頃の私はこんな時代がくるとは夢にも思わなかった。
先進の安全・安心機能を搭載したクラウンを、ぜひお近くの神奈川トヨタで確かめて欲しい。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。
【ひゃくばん物語】
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの63歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む
新型クラウン・新型カローラスポーツ合同発表会を開催しました!
2018.07.02
7月1日(日)横浜市港北区の「トレッサ横浜」において「コネクティッドデ―」と題した新型クラウン・新型カローラスポーツの合同発表会が開催されました。
会場には話題の新型車を同時に見ることが出来るということもあり、多くのお客様が来場されました。
ステージ上ではトヨタ自動車の新型クラウン開発責任者の秋山 晃チーフエンジニア(以下CE)、新型カローラスポーツの小西 良樹CEが新型車の魅力についてプレゼンテーションを行いました。
また、神奈川県オールトヨタ販売店アンバサダーである女優の釈 由美子さんを招き、事前に新型クラウン、新型カローラスポーツをドライブした感想をお話し頂いた他、当社トレッサ横浜店の平敷(へしき)スタッフと新型クラウンの魅力についてトークショーを行いました。
その他会場には新型クラウン、カローラスポーツのほかに、当社が所有する1955年(昭和30年)製初代クラウン「ひゃくばん」や、1966年(昭和41年)製初代カローラ、1965年(昭和40年)製のトヨタスポーツ800が展示され、多くのお客様がスマートフォンを取り出し撮影されていました。
なお、当社の初代クラウン「ひゃくばん」は7月8日(日)までトレッサ横浜店で展示いたします。
クラウン通がかよう 「ひゃくばん倶楽部」 第三話 : 神奈川クラウン会
2018.06.02
「ひゃくばん倶楽部」へようこそ。
私の名前は「ひゃくばん」、この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。
1955(昭和30)年生まれの63歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
さて、みなさんは「神奈川クラウン会」というのをご存知だろうか?
話は初代クラウンが発売されて3年目の1958(昭和33)年にまで遡る。
クラウンを愛用するオーナーさんたちは皆、根っからのクルマ好きだったが当時はまだ道路事情が悪かったため、遠出するには不安があった。
そこで神奈川トヨタは、ドライブの快適さ、楽しさを味わってもらおうと、この年の8月「神奈川クラウン会」を発足。
クラウンのオーナーさん約30台にサービスカーが追従し、山中湖までのドライブを楽しんだのだ。
以降2ヶ月に1回、1泊2日の「神奈川クラウン会」が実施され、当初は50人程度だった会員も、その後200人を超えた。
残念ながら「神奈川クラウン会」は活動終了となってしまったが、現在もこのスピリットは「プリウス森木会(しんぼくかい)」に受け継がれている。
プリウスのオーナーさんが水源地域の森林を健康で活力ある状態に保ち、次世代に引き継いでいくために、「プリウス森木会の森」に集い、自然観察会や植樹・間伐などの森にふれるイベントを年2回行っているのだ。
今も昔も、クルマを通じてオーナーさんがひとつになる…素晴らしいことではないだろうか。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。
【ひゃくばん物語】
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの63歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む
クラウン通がかよう 「ひゃくばん倶楽部」 第二話 : 純国産乗用車の登場
2018.05.30
「ひゃくばん倶楽部」へようこそ。
私の名前は「ひゃくばん」、この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。
1955(昭和30)年生まれの63歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
さて、今日は私の生まれた時代の話をしよう。
1955(昭和30)年といえば、神武以来の好景気に乗って電気洗濯機・白黒テレビ・電気掃除機などの家庭電化製品が“三種の神器”としてもてはやされ、各家庭に普及し始めた年だ。
石原慎太郎さんが、小説『太陽の季節』を発表し“太陽族”などの流行語が生まれたのもこの年。
そして、この年の1月に発売となったのが、前輪にダブルウィッシュボーン型の独立懸架を採用するなど、最新技術が随所に盛り込まれた名車、私(初代クラウン)だ。
私が発売された時、神奈川トヨタのショールームでは、盛大に発表会が行われた。
会場には、話題の名車をひと目見ようと多くのお客様が押し寄せ、「日本人もこれほど素晴らしい車をつくれるようになったのか」と感嘆する声が寄せられた。
この時の私の価格は、101万4,860円。当時、庶民にとってとびっきりの贅沢品であった電気洗濯機が2万8千円。
国民1人平均の貯金残高が5万6千円だったから、私(クラウン)がいかに高価な商品であったかがわかるだろう。
これは「クラウン通」としては少し自慢できる話ではないだろうか。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。
【ひゃくばん物語】
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの63歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む
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