明日は令和最初の七夕! 湘南ひらつか七夕まつりにオープンカーで協力。
2019.07.06
こんにちは、神奈川トヨタ広報室です。
明日7月7日は令和初の七夕です。
ここ神奈川で開催される「湘南ひらつか七夕まつり」は、宮城県の「仙台七夕まつり」愛知県の「おりもの感謝祭 一宮七夕まつり」並ぶ日本3大七夕祭りの1つです。
今年は7月5日(金)~7日(日)の3日間で行なわれますが、当社はピンクと白のクラウンオープンカーで「織り姫と音楽隊パレード」に協力。昨年と今年の織姫たちを乗せ七夕飾りの下をパレードしました。
朝10時30分からのパレードにも関わらず会場には多くの方がつめ掛け熱気に溢れていました。
先頭のピンクのオープンカーには落合平塚市長と今年の織姫たちが乗車、後方の白いオープンカーには実行委員長と昨年の織姫たちが乗車し、メイン会場である湘南スターモールをゆっくりと進みました。
またオープンカーの前後には東海大学のチアリーダーや応援団、地元小学生のマーチングバンド等が参加し、パレードに華を添えました。
なお、「湘南ひらつか七夕まつり」は明日19時まで。
お時間のある方はぜひ七夕飾りを見に足をお運びください。

森のハーモニー 第8話 :森の名は…
2019.06.12
こんにちは。
僕は2001年1月30日の第6回プリウス森木会である夫婦により作られたウッドクラフトのキリンです。
今日はトムという少年が主人公をつとめた『トムと森の音楽会』のお話をしようと思います。
神奈川トヨタと神奈川県が『かながわ水源の森林(もり)づくり事業』の覚書を締結した9日後のこと。
平成10年8月8日・9日にトヨタカレリア(現在は中店と統合)で市民ミュージカル『トムと森の音楽会』が開催されました。
『トムと森の音楽会』は森の緑と澄み切った空を愛する少年“トム”と陽気な森の住民が森の音楽会を開催する、愛と友情の物語。
それを一般公募で集まった地元の学生や社会人、年齢や性別を超えた市民の皆さんが市民ミュージカルとして熱演しました。
劇中にはバイオリンやチェロなどの室内楽も組み込まれていて、本格的なミュージカルと比べても引けを取らないほどで、多くのお客様に共感してもらえる舞台になりました。
この『トムと森の音楽会』、最初は『プリウスと森の音楽会』というタイトルで、主人公の名前も“プリウス”だったんです。
でも、横浜市の教育委員会の後援をもらうには主人公の名前やタイトルに商品名が入ってはいけない、と言われて名前もタイトルも“トム”になったそうです。
実は、『かながわ水源の森林(もり)づくり』の活動拠点となっている『プリウス森木会の森』が『プリウスの森』にできなかったのも同じ理由があったからなんです。
神奈川トヨタは80年の歴史の中で、様々な活動を地域の皆さんといっしょに取り組んできたんですね。
それでは、僕はそろそろお家に帰ります。
話をきいてくれてありがとうございました。

第39回 神奈川トヨタプリウス森木会を開催しました。
2019.06.06
こんにちは。神奈川トヨタの広報室です。
6月1日(土)・2日(日)、足柄上郡松田町のやどりき水源林で「第39回神奈川トヨタプリウス森木会」を開催しました。
初代プリウス発売を契機に神奈川トヨタからプリウスをご購入いただいたお客様と一緒に1998年よりはじめた環境保護活動も今回で39回目を迎え、今回のご参加者を含めた延べ参加者数はおかげさまで3,000名を超えました。
ご参加者ならびにご協力頂いた皆様には感謝しかありません。
天候にも恵まれた2日間、2つのプログラムをお楽しみいただきました。
1つは私たちの活動場所である「プリウス森木会の森」の林道そばののり面が、風雨によって土砂が流出しないよう間伐材を使った土留め柵作り。
大きな木槌で杭を打ち、杭と杭の間に間伐材の横木を渡し、針金で固定し柵を作る「丸太筋工」という工法での柵作り。大人も子供も一緒に頑張って2日間で合計8箇所の柵が完成しました。
もう1つはやどりき水源林の豊かな自然を感じていただく為、森林インストラクターのガイドでやどりき沢沿いの沢歩き。
澄んだ空気に冷たい沢の水、優しい木漏れ日の中、大きな岩を乗り越えたり、倒れている木の下をくぐったりと道なき道を行くアドベンチャー体験に参加者全員大興奮!!
沢を吹き抜ける涼風を感じながら、やどりき水源林の豊かな自然を体感。参加者全員で自然を守り、自然と親しむ一日を過ごしました。
次回は11月頃の開催を予定しています。有意義なプログラムを準備して皆様をお迎えいたします。お楽しみに!!
「プリウス森木会」とは (詳しくは下記ページをご覧ください)
https://kanagawatoyota.com/lineup/prius/friendship
やどりき水源林を含む「かながわ水源の森林づくり」については下記ページをご覧ください
http://www.pref.kanagawa.jp/docs/pb5/suigen.html

ひゃくばん倶楽部 第25話 「100」
2019.05.27
ひゃくばん倶楽部』へようこそ。
私の名前は『ひゃくばん』、この『ひゃくばん倶楽部』の案内人。一般的には、初代クラウンと呼ばれている。
時代は平成から令和へ。
天皇陛下がご即位を公に宣言し、令和元年10月22日に、そのご即位を内外の代表が寿ぐ“即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀”が行われる。
その後、国民にご即位を披露され、祝福を受けられる“祝賀御列(しゅくがおんれつ)の儀”へと続いていくが、その時に両陛下が乗る車としてセンチュリーが使われることが発表された。
センチュリーには前身となる車がある。
それが2代目クラウンをベースに全長を110㎜、全幅を150㎜拡大し、日本初のV型8気筒を搭載したクラウン・エイトだ。
このクラウン・エイト、当時としては画期的なパワーウィンドウやクルーズコントロールなどの装備が搭載されていた。
当時の総理大臣が乗る公用車としても採用されている。
実は、初代クラウンやクラウン・エイトの後継となる初代センチュリーの開発責任者は、同じ人物である。
名前は「中村 健也」、日本の自動車開発におけるチーフエンジニア制を築いたと言われている。
彼がいなければもしかしたら、私もこの世にいなかったかもしれない。
初代センチュリーが誕生したのは1967年。
センチュリーとは英語で一世紀=100年という意味で、トヨタグループの創始者である豊田佐吉の生誕100年を記念して命名された。
それは奇しくも明治100年に当たる年でもあった。
わたしも『ひゃくばん』という名前をもらい、“100”という数字には何か不思議な縁を感じる。
そして、その名に恥じぬよう、100年走り続けたいと願っている。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。
【ひゃくばん物語】
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの64歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む

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