新型クラウン・新型カローラスポーツ合同発表会を開催しました!
2018.07.02
7月1日(日)横浜市港北区の「トレッサ横浜」において「コネクティッドデ―」と題した新型クラウン・新型カローラスポーツの合同発表会が開催されました。
会場には話題の新型車を同時に見ることが出来るということもあり、多くのお客様が来場されました。
ステージ上ではトヨタ自動車の新型クラウン開発責任者の秋山 晃チーフエンジニア(以下CE)、新型カローラスポーツの小西 良樹CEが新型車の魅力についてプレゼンテーションを行いました。
また、神奈川県オールトヨタ販売店アンバサダーである女優の釈 由美子さんを招き、事前に新型クラウン、新型カローラスポーツをドライブした感想をお話し頂いた他、当社トレッサ横浜店の平敷(へしき)スタッフと新型クラウンの魅力についてトークショーを行いました。
その他会場には新型クラウン、カローラスポーツのほかに、当社が所有する1955年(昭和30年)製初代クラウン「ひゃくばん」や、1966年(昭和41年)製初代カローラ、1965年(昭和40年)製のトヨタスポーツ800が展示され、多くのお客様がスマートフォンを取り出し撮影されていました。
なお、当社の初代クラウン「ひゃくばん」は7月8日(日)までトレッサ横浜店で展示いたします。

クラウン通がかよう 「ひゃくばん倶楽部」 第八話 : お客様ファースト
2018.06.30
「ひゃくばん倶楽部」へようこそ。私の名前は「ひゃくばん」。この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。
今日は私の古いアルバムから、素敵な写真が見つかったのでその話をしようと思う。
まずはこちらの写真を見て欲しい。
これは、以前話した「神奈川クラウン会」が主催した「三浦半島一周ラリー」の一場面だ。
「神奈川クラウン会」は、地元の紳士淑女が集う社交の場でもあったので、ラリーといえどもドライバーもナビゲーターも正装だった。
しかし、道路事情はご覧の通り悪路の為、無事に完走するには、先回りしたスタッフが道路整備にあたらなければならなかった。
ゼッケン15番のドライバーが、慎重にハンドルを握るコースの脇に、砂利や土砂が積まれているのがわかる。
そしてその奥に作業服の男性、コースの反対側にはスーツ姿のスタッフが…。
「お疲れさまです。調子はいかがですか?ここからは難関のコースが続きますので、どうぞお気をつけて運転してください。」
…そんな声を掛けたに違いない。
私(クラウン)をここまで育ててくれたのは、開発者や製造者だけではない。
販売店スタッフのお客様を思う気持ち、楽しんで運転してもらいたい気持ち…そんな思いがこの一枚の写真から読み取れる。
そして、今もそのスピリットを受け継ぐスタッフが神奈川トヨタには大勢いるのだ。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。
【ひゃくばん物語】
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの63歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む

クラウン通がかよう 「ひゃくばん倶楽部」 第七話 : ジューンブライド と クラウン
2018.06.22
「ひゃくばん倶楽部」へようこそ。
私の名前は「ひゃくばん」。この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。
今日は、私が忘れられない“クラウンと新婚さん”との物語があるのでそれをお話しよう。
古くからヨーロッパでは「6月に結婚する花嫁は幸せになれる」と言い伝えられているそうだが、私も“結婚”という人生のイベントで思い出深いことがある。
それが、1961(昭和36)年に神奈川トヨタが“新婚旅行にクラウン貸します”キャンペーンだ。
新婚旅行をクラウンで楽しんでもらおうという企画だったのだが、その頃、庶民にとって私(クラウン)は夢のクルマだったし、レンタカーなどない時代だから、若い人たちの間でものすごい反響があった。
抽選で幸運をつかんだ5組のカップルは、洋画のワンシーンのように飾り付けられた“クラウン”に乗って、新しい人生に旅立って行った。
…このことは、私にとっても5組のカップルにとっても忘れられない思い出となっているだろう。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。
【ひゃくばん物語】
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの63歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む

クラウン通がかよう 「ひゃくばん倶楽部」 第六話 : 刑事ドラマとクラウン
2018.06.16
「ひゃくばん倶楽部」へようこそ。
私の名前は「ひゃくばん」、この「ひゃくばん倶楽部」の案内人。
1955(昭和30)年生まれの63歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「クラウン」と言えば今も昔も刑事ドラマに欠かせない車となっている。
1972年から1986年に、日本テレビ系で放映された刑事ドラマの捜査車両としてクラウンが使用されたのは有名な話だ。
ブラインド越しに、眩しそうな目をして物思いにふける姿…
軽快なサウンドトラックをバックに、犯人を追いかけるクラウン…
“ハードボイルド” と “ハードトップ”は、この時代を象徴する男達の憧れだった。
時代は流れ、刑事ドラマの雰囲気もだいぶ変わってきたが、やはりクラウンは刑事ドラマに欠かせない存在だ。
と言っても、クラウンが警察車両として活躍しているのは、ドラマの中の話だけではない。
多くのクラウンが、現在も全国で活躍している。
警察庁が定める「2500cc以上の4ドアセダンで定員が5名」という基準をクリアしている車なら世の中に多くある。
その中で、クラウンが選ばれているのは何故か…。
それは、警察車両特有の過酷な条件下で使用しても耐久性に優れており、且つ整備工場や整備士の数やスキルが充実しているということに他ならない。
目には見えないが、こういった基本的なところがしっかりしているからこそクラウンは選ばれているのだ。
これからもクラウンは街の安全を守るために走り続けるだろう…。
それではまた、「ひゃくばん倶楽部」で逢おう。
■どうして私が、「ひゃくばん」と呼ばれているのか…ご存知ない方は「ひゃくばん物語」をご覧いただきたい。
【ひゃくばん物語】
私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの63歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。
「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある…続きを読む

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