

ひゃくばん:私の名前は“ひゃくばん”。1955(昭和30)年生まれの65歳。一般的には初代クラウンと呼ばれている。「博物館でしかお目にかかれない」などという人もいるが、私は今でも地面さえあれば何処へでも走っていける。
もちろん、こうして今も元気に走り続けていられるのには理由がある。そこには数々の“人とクルマの物語”があるのだが…。まわりくどい話はこれくらいにして、さっそく私のご主人様とその家族を紹介しよう。

ひゃくばん:私のご主人様は、昭和4年生まれ。都内医学部の学長であったお父さんと、優しいお母さん、そして三つ歳上のお兄さんと一緒に、東京の南麻布に暮らしていた。
ご主人様は、理系の大学を卒業後エンジニアとして大手電気メーカーに就職。それから二年後の昭和29年に運転免許証を取得すると、
「クルマがあれば、家族で出かけるのに便利だから…」
ひゃくばん:と、お兄さんに相談。当時の私の値段は100万円。大卒初任給が平均で1万3千円の時代だから。兄弟が力を合わせても私には手が届かない。そんな姿を見て、お母さんが私の購入資金を工面してくれた。朝鮮特需でかなり値上った株を売り、一括払いしてくれたのだ。
ご主人様はこの時の気持ちを、こう語っている。
「母にしてみれば、一世一代の買い物だったと思いますが、恩着せがましいことはいっさい口にしませんでした。だから、兄も僕も大切に乗りました。」
ひゃくばん:ありがとう。私もこの家の家族になれて本当に嬉しい。そういえば、お母さんは私のナンバープレートを見て、こう言ってくれたんだ…。

「“ひゃくばん”っていうのは覚えやすいし、何だか縁起がよさそうでいいね。」
ひゃくばん:それ以来、私は家族みなさんから“ひゃくばん”と呼ばれるようになった。家族のみなさんは口々に嬉しいことを言ってくれる。
「“ひゃくばん”が来てから、家族そろって出かけることが増え、家の中が明るくなった気がする。」
「ある日、後部座席から湘南の海岸を眺めていた母が『このクルマ買ってよかった』と、小さくつぶやいた時のことを忘れられない。」

ひゃくばん:ハイ!私も忘れられません、まるで映画のワンシーンのようだった。
お兄さんがコロナを購入したことをきっかけに、私はご主人様の占有になり、やがて伴侶となる女性とのドライブ。そして長男が生まれた時に病院にかけつける際など…、親子三代に渡っていろいろな想い出を紡いできたんだ。