

ひゃくばん:2016年4月、私は神奈川トヨタ整備の本社工場で、県内の工場から集結した7人の精鋭部隊に囲まれていた。ご主人様が大切に乗ってきたとはいえ、私は1955年製のクルマだから、長い年月のうちに老朽化した箇所があることは否めない。補給部品はもちろん、整備解説書すらない始末だ。
さて、どこから手をつけようか? 7人にとっても、日頃の作業とは異なる難しい挑戦が続いた。しかし作業が進めば進むほど、7人の気持ちが一つになるのが私にもわかった。
「日本一のクルマに仕上げよう!」

ひゃくばん:2016年8月25日、新車のように蘇った私は、トヨタ自動車元町工場“歴代レストアクラウン愛知〜東京間430km走破チャレンジ出発式”の先頭にいた。

緊張していると豊田章男社長が近づいてきて
「頑張ってください」
と声を掛けてくれた。真夏の東海道、5日間の旅がスタートだ。
ひゃくばん:私は60年前のクルマだから、ハンドルはよく切れないし、ブレーキを踏んでもなかなか止まれない。ラジエーターは小さく、冷却ファンはエンジンの回転に比例して回るので、渋滞時のオーバーヒートも心配だった。幸か不幸か、降り出した雨でエンジンルームの温度は下がったが、エアコンのない車内は蒸し風呂状態となり、神奈川トヨタの方が私のフロントガラスを拭きながらの走行になった。厚木に差し掛かった頃、ワイパーがはずれてしまい後続車に踏み潰されるトラブルが発生したが、厚木店のメカニックが修復してくれたので、私は無事に東京にゴールすることができたんだ。


ひゃくばん:私が生まれてからご主人様をはじめ皆さんのもとへ届けられるまでの物語をTBSドラマ“LEADERS”でご覧いただきたい。
そうそう“LEADERS2”には、私も初代クラウン役で出演している。ドラマ用に少々メイクアップもしているが、私の晴れ姿を是非ご覧いただきたい。

第二次世界大戦前、欧米先進諸国における自動車産業を目の当たりにした愛知佐一郎は、「これからは日本にも車の時代が来る」と確信し、当時としては無謀とも言われた国産自動車の開発に乗り出す。
愛知自動織機の中から工員を選抜し、「日本人の為の車を、日本人の手によってゼロから創りあげる。」と宣言するが、車の心臓ともいえるエンジンの鋳造工程で早くも大きな壁が立ちはだかる…。
5年の歳月を費やし、ようやく乗用車を完成させた時には、皮肉にも戦争の足音が迫っていた。軍用トラックなどで戦時中の苦難は乗り切るも、戦後も日銀の金融引締めという荒波が待ち受けていた…。

1934年、10年前の関東大震災によって物資輸送網が断絶された苦い経験から、日本の自動車需要は急速に加熱していた。欧州勢に加えて、アメリカのフォード、GMの本格参入によって日本の市場はまさに外国車販売の戦国時代へ突入していた。
愛知にあるGM車販売店『日の出モータース』の支配人・内野聖陽はアメリカ流の販売方針を押し付けられることに抵抗し、事あるごとに改善を訴えてきたが、大阪に拠点を置く『日本ゼネラルモータース』は、一販売店の意見に耳を傾けることはなかった。
大阪からの帰りに内野は、鈴鹿峠の山道で立ち往生しているシボレーを、背広のまま修理する男・愛知佐一郎に出会う…